星のカービィ


左日本版、右北米版
星のカービィの第一作目は1992年4月27日にゲームボーイ用ソフトとして販売された。
元々はティンクル・ポポというタイトルで制作されていてカービィの名前もポポポだったが途中で変更された。
『カービィ』の由来には様々の噂があるが今では由来は不明らしい。
海外版の初代カービィは白色、これはゲームボーイの画面を見て白だと思い込んだため
夢の泉以降ではピンクに戻っている。
ちなみにマリオを作った宮本茂氏はパックマンに似てた為か黄色だと思ってたらしい。

●昔のゲームは今のゲームに比べると難易度が高いモノが多かった。具体的に言うと敵に当たると死んだり崖から落ちると死んだり。しかし星のカービィはライフが6あり崖から落ちても空をとぶことで回避することができる。カービィの生みの親である桜井政博氏はゲーム初心者にも楽しんでもらえるようにとカービィを作ったのである。(カービィ以外も氏の作るゲームは基本そうなっている。)
だが、難易度が低いだけでなく一部のダメージが増えたり、敵やボスの動作が変更されたエクストラモードも存在しその難易度はゲーマーも舌を巻くレベルに仕上がっている。
●今ではカービィの代名詞にもなっているコピー能力はまだ存在しなかった。初代カービィでは空をとぶこと、吸うこと、吸った物を吐き出すの3つの動作で構成されていた。が、激辛カレーを食べることにより火を吹出したりコピー能力に近い要素やマイクで敵を一掃できたりとプレイヤーを飽きさせない作りになっていた。
●しかし、このゲームはプログラム的に甘いところがいくらか見受けられる。敵の処理が結構適当になっており、このことについてはディレクターの桜井氏が自身のコラム(ファミ通で連載)で書いたこともあり、当時はそこまでできなかった(カービィ一作目であるが、桜井氏が入社して初めて作った作品でもあるため)事について悔しく思っていると記述していた。他にも同時期に可愛らしい世界観で完成度の高いゲームを他社が販売され悔しかったそうな。(そのゲームは難易度高すぎてそんなに流行らなかった)
●ゲームとしては作り込みの甘いところがあるが、シンプルながらも奥が深い点などが好評で世界中で500万本を売り上げた。そして11ヶ月後に新作、夢の泉の物語を発売することになる。

●コピー能力はなかったもののカレーを食べて火を吹き出したりマイクで歌って敵を攻撃などコピー能力に通ずる要素はいくつかあった。

●ゲーム終盤になると吸込みが通用しない敵が登場したり。一見単純に見えるが奥深いところがあったりとカービィの世界観はこの一作目の時点で完成していたと私は思う。


★おまけ★
こちらが噂の海外カービィ。日本だとレア物?


星のカービィ夢の泉の物語の項目へ→
TOPへ戻る